ようこそ、広島市タカノ橋商店街振興組合へ。組合員皆がんばっています。

組合の歴史

組合の歴史

商店街の沿革

 大正8年。この頃市内数か所に開設された公営(市営)市場の一つが、
ここ西堂川の埋め立て地にもオープンした。
消費者の人気は上々で、近くは大手、干田町界わいから、
遠くは吉島、舟入方面からも多くの買物客が集まった。
人が集まればそこに街ができる。タカノ橋商店街の夜明けであった。
30年に及ぶ汗と努力の歴史は、原爆によって総べてがゼロとなった。
しかし、地の利と地元商店街の熱意で復興は急ビッチに進んだ。
昭和21年8目こは、早くもタカノ橋公設市場が再開、
翌年9目、バラック建ての商店30数店が南栄会を組織して復興への礎をつくった。
それから5年後には殆んどの店が本建築を終え、街路灯の建設にも着手した。
翌28年には顧客吸引のための映画館(タカノ橋東映)を誘致、娯楽の少ない当時としては大いに繁昌した。

歴史

 当商店街の歴史は、大正8年の公営(市営)市場の開設を契機として、
交通の要衝でもあった当地に商店の集積が始まったことから始まる。
戦災により壊滅状態となったが、公設市場の再開など復興に力を入れ、
昭和28年に第1次街路灯の建設と街区整備を続け、
昭和40年には念願のアーケードを完成させた。
商店街組織は、昭和21年にバラック建て30数店の南栄会の結成に始まり、
昭和37年に中国地方初の振興組合として改組し、大いに注目を浴びた。
その後、昭和57年にアーケード下のカラー舖装を整備し、
平成4年に2つあったスタンプ事業を統合した「たかのばし遊スタンプ」が発足した。
周辺環境は、公共関連事業所などのオフイスビル、
高層マンションが立ち並ぶ都心部にあり、
市内電車と国道2号線が交差する交通の要衝に位置しているが、
わずか1~2kmの所にはそごう百貨店をはじめとする都心部広域商業集積がある。
昭和57年から始まった広島大学の東広島市への移転が完了し、
一方では広島会計学院をはじめ次々と専門学校が開校し、総生徒数が3、500名を超え、
また、公団住宅・広島市婦人教育会館など次々と高層マンションが建設されている。
タカノ橘商店街は、公設市場や飲食店・日常生活品を扱う商店を中心に、
品揃えの良い近隣型で、域内に銀行や映画館を有するなど利便性は高く、
主婦を中心とした中高年齢層の女性の支持率の高い商店街である。

現在のこうせつ
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アーケード建設

 大型量販店の進出や平成不況といわれる経済衰退により、集客力を弱め、
買物客の減少・売.上不振など極めて厳しい状況下にあった。
そのような中、30余年を経過し老朽化した全蓋アーケードの建て替えによって、
来街者に喜ばれ、明るく清潔なイメージを与える空間の確保を目指し、
改修に向けて事業を展開した。
完成は、平成10年3月

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スタンプ事業

 昭和57年に公設市場に「こうせつシール」、
昭和60年にタカノ橋本通り地区に「Tロードスタンプ」をそれぞれ開始していたが、
平成4年10月1日にこの2つのスタンプ会を統合した「たかのばし遊スタンプ」を発足し組合の事業とした。
サマーセール・年末セールの抽選会や招待旅行、交換会など毎月1回程度のイベントを実施している。

ふるさと交流事業

 ちょっとしたきっかけで、平成7年より同じ「たかの」という名で、
県北の高野町との交流事業が始まった。
初めは、高野町の少人数の主婦団体がつくる漬物販売の話から、
町長自ら町を挙げての交流にまで発展した。
当商店街で開催する年2回の祭りに、
野菜・くだものを初めとする物産品の販売をする「産地直送市」とか、
高野町に出向いての交流会を開くなど幅広く交流した。
この事業は、10年継続したが、高野町が庄原市と合併したため、
やむなく終了した。
高野町との交流資料 http://www.kaso-net.or.jp/koryu/33.pdf

 照明器具のLED化

平成25年12月国と市の助成を得て
アーケード下蛍光灯のLED化に着手、完成した。
総費用約600万円。
商店街はより明るく、消費電力も半分以下となり
消灯時間を午後11時として、防犯にも役立つことになった。

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